骨髄腫学会2023は浜松町コンベンショナルホールで開催されていた。

先日、骨髄腫学会2023に参加した。

https://www.jsm2023.org/

最初は会場が浜松町コンベンショナルセンターだったので、静岡での開催と思っていたけど東京でした。

コンベンションて

基礎実験の演題が採用されたので参加してみました。大きな感想としては3つです。

1、骨髄腫の研究を本気でしている施設が日本にいることが実感できて、なんとなく心強く思った。

最近ボスから自分のテーマを基礎でやってもいい、とお達しがきた。色々考えていて、まだテーマ自体は決めれていないが、疾患は現在の実験のテーマでもある、骨髄腫についての研究をしたいと思っている。

今まで臨床研究でDLBCL, MDSを扱って研究として形にしてきた。その疾患を選んだのは研究したかったというより、患者数が多く臨床研究として形にしやすそうだから、という部分が大きかった。もちろん、形にした研究は知りたいテーマではあったがきっかけはnが多くてやりやすそうだな、って感じでした。別に悪いとも思ってませんが、ピュアではない。

それでいうと今回、骨髄腫をテーマに選んだのも今までやっているから、今までそれなりに勉強したから形にするのもやりやすいのではないか、という理由なので僕のテーマの決め方ってやりやすそうなのから手を出すというスタイルなのでしょう。

とにかく今後、ある程度の時間を骨髄腫の研究に費やすことになると思いはじめた時に参加した学会で、日本でこれだけ骨髄腫についての研究を真剣にしているところがあるのを実際に見て、なんとなく心強く感じました。贅沢を言うとちょっと少ないような気もしたが、これが日本の現状なのでしょう。

今後テーマを決めてやって行くうちに、わからないことや迷うようなことが出てきたらボスはもちろん、他施設の人たちに聞けちゃうのだなと思ったのでした。

学会の帰りの新幹線はボスと隣どうしで帰ったのですが、

「テーマについて迷っていて、1q gain他の血液始めとした癌にないのが気になっていて、その関連でできないかと思っている」

と相談したところ

「確かに面白いけど今研究室で色々お蔵入りしているものとかからやる方が方法論もあったりしていいんじゃない?」

と言う答えとともに色んなお蔵に入ったものたちを見せてくれた。

僕はコネクティングドットを信じていて、そういう観点で探していたはずなのに、自分のオリジナルを出そうとしていたな、と反省しました。別に反省することでもないですが、改めてその方向にしてくれたボスには感謝です。

2、MRさんが結構多い。

学会は5/26(金)-5/28(日)までで、僕は土曜日の朝一番に会場に入りました。参加登録を忘れていたのでその場でweb経由で登録、そのせいで開会式は出れませんでした。とほほ。

ちなみに土曜日の夜にボスと仲が良い先生(有名人)とその施設の何人かと我々の教室の何人かで飲み会があると決まっていました。僕は翌日に発表だったのでスーツは温存してその飲み会のために私服で会に参加しました。そうすると参加者にはMRさんが多くて、さらに発表している若手以外はほとんどが上の人だと言うこともあり、参加者はバシッとスーツ、私服はおそらく僕1人でした。とほほ(パート2)

次からはもう学会はスーツスタイルを心に誓いました。

楽しそう

3、練習はやっぱり30回くらいはした方がいい。

発表日までの練習はおそらく20回程度でした。それもあってか結構噛んでしまいましたし、(webで奥さんが見た感想、、)マイクも遠くて少し聞き取りにくかったみたいです。

前に書いたかもしれませんが、確かに30回くらいの練習はあった方がいいと思っています。(プレゼン、練習回数、で検索すると100回とか出てきますが、僕は30回程度で大丈夫と思います。プレゼンの重要さにもよるかもしれませんが。)

今回はスライドをGW明けにはボスに渡したのが返ってきていたのであとは少しブラッシュアップしてしゃべる内容を考えるだけ、という状態だったのですが、重い腰が上がったのが発表の3日前くらいでした。。。。20回くらいでも大丈夫と思っていましたが、やっぱり現実は非常である (答え③)。これを糧に次のステップを目指します。

前述のテーマ選びとその数日前にあった抄読会に力を入れ過ぎたことが敗因です。そして力を入れすぎた抄読会では勢いが強すぎてカンファのファシリの先生から苦言をもらってしまいました。面白いことをわかりやすく伝えることを重要と思っていたのにそんなコメントをもらうような発表をしてしまって大反省です。

大学院生の発表に苦言を入れるのはあかん、とかしっかり勉強したからええやん、とか合理化はできますが、ここは反省を多めで次に繋げたいと思います。

4、その他トリビア

せっかくなので今回学会に行って色々メモっていますのでその復習がてら色々メモっときます。

ちょっとぼかしています
  • del 17pについて

55%以上などのカットオフがあるみたい、30%でも良いかもというデータもあるみたいです。欧米のデータなので骨髄検体をセレクションしたあとなので、単純に日本のデータにはできません。

del17pだけではなく、TP53変異が合併するとさらに悪くなる。違いがあります。CLLでも言われてますよね。

さらにこれらはNGSによる解析であり、FISHで、しかもセレクションをしていない日本のデータは弱い事態になってそうです。

あと、再発難治で多い理由としては獲得していくというより元から少数存在しているクローンがselectionで拡大していくの派が多い印象でした。治療ターゲットとしてはその悪くなるクローンを最初に根絶するのがいい戦略なのかなと思いました。Lv1の勇者を最初の村でやっつける、みたいな。

  • メンテナンス

IFM/DFCI 2009などから基本的にメンテナンスは必要で、ハイリスクはIxaで、スタンダードはLen、期間としては2年はとりあえず必要っていう感じでした。メンテナンスはほんまに必要かわからへんっていうニュアンスがなくなってきた印象です。

  • データサンプル

GSE136337というのを予後分析に使っている研究があってこれは使えるのかなあ。

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/geo/query/acc.cgi?acc=GSE136337

  • トンネルナノチューブ (TNT)

ストローマ細胞から小さな管がでて、miRなど色々物質を送ったりしているらしい。長老的ミエローマニアの先生が聞きまくっていました。

https://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v14/n12/%E7%B4%B0%E8%83%9E%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%90%E3%83%8A%E3%83%8E%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%96/90179

ストローマ細胞にも関わらず相互作用に関する研究が多かったです。ちなみに使用するストローマとしては患者由来細胞が多いみたいです。

  • 低酸素

CD38が落ちるらしい。骨髄の環境は低酸素であり、実験系を考えても良いと思いました。

ちなみに1q gainでもCD38が落ちるみたいです。

  • 治療における高血圧の目標について

HFA-ICOSと言うのが腫瘍循環器領域で作られているみたいです。いろんなリスクで目標を考えるみたいです。

https://www.cancercalc.com/hfa-icos_cardio_oncology_risk_assessment.php

そんなところでしょうか。

ちなみにそろそろEHAですが、今になって演題出してwebで発表しといたらよかった。やっぱり発表することでしか得られないことって多い気がする。travel award落ちたからってやめたのを少し悔やんでます。ほんの少しですが。

今見返すとめちゃ落ち込んでる

いきなりすごい勢いで服を脱ぎ出して脱ぎ終わってから「何秒!?」っていう一発ギャグがずっと頭に残っている。

ここ数日でいくつかの計画が無事遂行されたのでその備忘録を。ちなみにタイトルは大学の部活の飲み会で行われたギャグ大会で後輩がしたギャグだ。

いくつか遂行した、とい書いたがそのどれもが遂行されただけで成功してはいない。いや、成功したかはまだわかっていない。走り切ったけどまだタイムがわからないって感覚。3つの計画だったのでさながらトライアスロンってとこ。

まずは水泳にあたる第一競技。12月1日に受けたバイオインフォマティクス技術者認定試験。

https://www.jsbi.org/activity/nintei/

基礎研究をしていて論文などを読んでいると遺伝子発現の結果や、綺麗なfigureの解釈がわからん、などといった大学院生あるある。なんとか自分も足をつっこみたい、理解したいし、なんなら使いこなしたい。でも何をしたら良いかもわからない。ということで最初は解析の勉強をしようとして統計学2級を目指していた。

かめさんの動画とかである程度勉強してある程度はわかっていたがその先の自分で操るというような段階に行くまでのステップが大きくなかなか羽ばたけなかった。そんなところにこの試験の存在を知ってとりあえずこっちも勉強してみるか、という気持ちで勉強し始めた。

ちなみにそのかめさんの動画、正直めちゃおすすめ

過去問を1年分やったくらいで分子生物学の話が結構でていたのがとても面白く思った。中でも超可変領域の存在で一気にこの試験のやる気が出た。超可変領域はタンパクの中で反応が起こりやすい部分で、アミノ酸配列である程度決まっており、遺伝子の配列を見るだけでそれがどこにあるかがわかる、といったものだ。例えばTP53はさまざまな分子に働きかけたり働きかけられたりして重要な働きをしているが、その様々な分子との相互作用を可能にしているのがその超可変領域である。

臨床をしていた時にはタンパク質がアミノ酸が連なったもの、くらいしか考えていなかった。しかしアミノ酸はランダムに連なっているのではなく、そのタンパク質の働きを遂行できるような形や機能をつながり方で規定しており、アミノ酸の種類だけでなくその配列も重要である、という概念は僕の中では新しい扉を開けた。気がする。

さらにその超可変領域を知った時にちょうど研究カンファで、研究派の先生が気になる分子の中に超可変領域があることに着目してある仮説の着想を得た、みたいな話をしていた。このバイオインフォマティクスの試験勉強をしていなかったら全く知らなかったことが、常識なのかもしれないという焦りに似た感情が湧き出て、とりあえず受かるくらいまでは勉強しようかと思った。

しかしこのバイオインフォマティクス、インフォマティクスのところが曲者で、遺伝子配列の決定のアルゴリズムであったり、質量分析の方法論であったり全く自分の実験に触れていないカテゴリーの問題は全くわからない。全くは言い過ぎだが結局わからないままで終わった気がする。ただ、なんとなく雰囲気は掴めているので必要となったら勉強はしやすいと思うので及第点ということにしておく。

試験はCBTという方式で、試験センターに行ってパソコンで受けるスタイルだった。その場で結果がわかって、結果は66%だった。60%以上が合格のラインなはずなので受かったと思うが点数が点数だけにあんまり達成感はない。でも生命科学と遺伝進化の範囲はなんと100%だった。今まで試験であんまり100%って部分的にも出したことなかったので嬉しい。

次はトライアスロンでいうと自転車、それは12月13日の抄読会。内容はかなり迷ったけどNatureのCHIPの大規模解析についてにした。僕はなんとなくCHIPが好きだ。前癌病変であるが結構多くの人が持っているというのがなんか大きな意味を持っているような気がする。人が生きる上で。

謎の哲学はさておき、この論文はSNPの変異を年齢とVAFを使ってgermlineの変異か判断してCHIPにどれくらい寄与しているかを調べている。今までで一番大きな規模が6万人くらいだったのが今回は60万人という超大規模解析。CHIPはいろんな癌と関連しそうな遺伝子が関わってそうということと、mLOYとかmLOXとかmCAのような染色体異常の視点から見たクローン性造血とは重なっていなかったこと、血液がんはもちろん固形がんも種類によっちゃ多くなっちゃうこと、そして心血管病とはあまり関係ないかも、という内容。

染色体異常のクローンと違うっていうのは面白い。元々のイメージは遺伝子異常が増えて染色体異常が起こってくるものと思っていたので染色体異常を持っている人は遺伝子異常を持っていると思っていたが、両者は含有の関係ではなく、互いに違う集合だった。つまり、遺伝子異常と染色体異常は別なものを見ているということなのだろう。ちょうど今臨床研究しているテーマについても面白い考察になるのかなと思った。

あと、質問ももらったのだが血液がんはわかるが固形がんはなんで増えるのかという疑問は確かにある。僕の理解ではCHIPを持ってしまう人は遺伝子の不安定性が高く、増血器以外の組織においても前癌病変であるクローンが起こりやすいのではないかと思ったのだが実際はどう解釈されているのだろうか。

ちなみに僕はNatureとかから抄読会の論文を選ぶのが多い。理由としては自然科学系の雑誌はあまり目に入ってこないから他の人にとっても意味があると思っているということと、あるHPでそっち系の論文の紹介をしてるからということがある。

https://aasj.jp/

本当はこの論文を選ぶ前にAMLのMRDのことについての報告でしようかなと思っていた。実際3割くらい完成させていた。

日本血液学会でAMLのFCMによるMRDの話を聞いてその勉強がてらJCOで出たFLT3AMLのMRDについての論文でやろうと思ったのだがCHIPの論文を見て、解析の仕方とか結構ちんぷんかんぷんだがチャレンジしてみたい!という精神が勝ってしまった。この辺りは僕の秘めたる衝動性なのだろう。

やはりAMLにおいてFCMでのMRDはある程度はコンセンサスが生まれつつありそうな感じだ。JCOの論文ではNGSのMRDの方がいい、という結論だったが。

Blood. 2022 Sep 22;140(12):1345-1377. とか、https://ashpublications.org/hematology/article/2022/1/9/493487/Achieving-MRD-negativity-in-AML-how-important-is とかが参考になりそう。

そして最後はある学会のトラベルアワードの応募、これが結構たいへんやった。内容はこの2月くらいから画策し始めた他施設共同の臨床研究の結果についてで内容は伏せますが、なんといっても結果が揃ったのが12月2日、つまりこのトライアスロンが始まったあたりから大変なレースが始まっていたのです。

まずはデータの整理、そして計画していた2つのテーマの解析、ひとつのテーマは結局有意差はなく、発表には耐えれそうにないと判断、そしてもうひとつのテーマはindexの作成だったのでたくさんの解析、そしてその解析は本当にたくさんするのでEZRでするには手間がかかりすぎるのでRコードを書くことを決意、そしてなんとか形にすることに成功!そして抄録をセット!ターン終了だ!

ということでASHにいく直前のボスに抄録をいきなり渡してトラベルアワードへの推薦の許可をいただいた。抄録書いたのでよければ推薦お願いします!って感じだったが今考えるともう少し丁寧にことを進めても良かったのかもしれない。トラベルワードありますけど抄録書いていいですか?みたいに。結構寝不足だったし気持ちも昂っていたということだろう。許可をもらえて安心したのも束の間、署名が必要なことに気がついたのはボスがASHでアメリカへ行った後。そして締切は今日、つまり昨日帰ってきたボスのASH後初通勤日。基礎実験と有意差がなかった方の臨床研究の方針相談に付き合ってもらってから無事に署名入り推薦書をいただいたのであった。

そして先ほど(といっても19時くらい)必要書類一式を送信しこの激しいレースを無事完走した。実際ASHも採択されてないし今回の試験とか応募とかもなんとなく弱気だがやってる感は出たし、興奮できたしで楽しかったので今後も色々チャレンジはしていこうと新たに決意したのであった。

去年は症例報告2報と臨床研究1報出せたのに今年は成果としては何もなく、焦る気持ちはあるが年度として考えて、あと3ヶ月過ごそうと思う。可能ならばもう少し色んな種を蒔いて来年度に回収できるようにしたい。そんな当直中。

missing つまり進行形

村上龍のmissingを読んだ。

内容をうまく説明できないそうにない小説だ。

https://www.shinchosha.co.jp/book/393402/

新潮社の紹介ページにいくつか解説が載っていて、みんなうまく説明している。このリンクを貼ってもう今日はお終いにしようかなと思ったが、このブログの目的は未来の僕に向かって、今僕がどんなことを感じているかを残すことなのでやっぱり頑張って説明してみようと思う。

主人公は村上龍本人と思しき作家である。ホテルで生活できるほどに作家として成功している中年男性である。その作家には時折3本の光が現れてそこに映し出される空想(幻影?)に囚われてしまう癖がある、という設定で物語は進む。最初はその空想の中に若い女性や無くなったお気に入りのフレンチバルなどが出てくるが、途中から母親の生い立ちや作者の幼少期のエピソードが作家目線と母親目線を織り混ぜた形で出てくる。

その空想の中で作家はなんとか現実に帰りたいと苦戦するが、幻想がとめどなく流れる。母親のナレーションで小さい頃の自分のエピソードが現れたりする。暗い道で、今の居場所があの世かこの世か気になっていたことであったり、積み木で小さな王国を作って王様になったのちにその王国を壊したことであったり、人の話を聞くことを覚えて社会でうまくいくことを見つけた、といったエピソードだ。そして母親のエピソードとして朝鮮から戦後に帰ってきた話、父親と結婚した話なども出てくる。徐々に失っているのはその時に感じた感情であったり、母親とのつながりであることがなんとなくわかってくる。このなんとなくがとてもうまくて、あるエピソード、例えば交通事故などである時点からプッツリとなくなる、とかではなく本当に徐々になくなっていく。あの時と今は違う、しかし自分という存在で繋がっているので全く違うわけではない、でもやっぱり自分も含めて変わっていて決定的にその感情であったりを失っている。そして今も全ての何かが失われている、という気持ちになる。

描写は幻想的で、現実味があるものではないからか、本当に徐々にそのような気づきが出てくる。ふわふわしながら気が付くといろんなことが変わっている感覚。昔に限りなく透明に近いブルーを読んだ時に同じようなふわふわした気持ちになったのを思い出す。あの頃は村上春樹にハマっていて、同じ苗字の有名な作家の小説でも読もうとして選んだのが限りなく透明に近いブルーだった。読んだ後になんだか現実に地がついてないふわふわ感が似ているが、書かれた時代が違うのか、いや書いている人が違うので当たり前だが村上春樹とは違うんだなという印象を持った。感想が浅いな。確か大学2年生くらいだったと思うが、今はその頃に他に何を考えていたかなどは全く思い出せない。なんなら大学2年生くらいだったかもあやふやだ。これもmissinngということなのだろうか。

10年後にふとmissingを思い出した時に今考えていることを思い出せるように少し今について書き残しておく。

今は大学院3年生、ベッドフリーになって半年を過ぎた11月14日の月曜日。ある思いつきで当直を増やしたいる。その当直のついでにこの文章を書いている。自分のやりたいことの形が定まりつつあり、いろいろ準備している。一方で具体的には全く決まっていない。過程を楽しんでいるといったところ。ちなみに家庭も楽しんでいるがうまくいかないことも多い。

大事にしたいのは家族と後輩、そして未来のある人たちを応援したい、という自分の気持ち。少し違うか。全ての人に平等に未来はあるので正確にいうとチャレンジしようとしている人を応援したい、それに自分が入っているのだろう。自分においてチャレンジといっても数年間のうちでしたいことはあるが、10年後となるとない。でも今までもそんな先のことまで考えたことはなかったので走りながら考えるしかないかなとも思っている。

このmissingを読みながら作家自身のエピソードでは自分の小さな頃から今までの変遷を、母親のエピソードでは自分と母親の関係が頭に浮かんでいた。今の自分の人格形成には父親の影響が強かったし自分も似たような大人になっていくのだろうと思っていたが、大人になると母親の存在はやはり大きく、僕の人格には母親も大きく入り込んでいる気がする。男の子である僕は結局マザコンなのかな、とも思う。具体的には、と考えてみたがこれもまた言語化が難しい。このブログを再開して自分にはまだ言語化がうまくできない部分が多いということに気付かされる。あと、タイピングが早くなっていることに最近気がついた。タイピングが遅い自分をmissingということか。

お後がよろしいようで。

ブログは落ちているか。

ベルリンは晴れているか、を読んだ。

https://www.chikumashobo.co.jp/special/berlin/

第二次世界大戦後に占領されたベルリンでドイツ人であるアウグステが苦難を超えながらエーリヒに会いに行く。苦難の内訳は戦争中のドイツにおける言論統制やユダヤ人の差別の裏返しであったり、さらに敗戦直前から戦争終了後の植民地状態のドイツにおける治安の悪さ、命の軽さであったりする。作中に言及はないがタイトルは戦争中にヒトラーが言った、パリは燃えているかをもじったものであろう。

学生時代にはそういった戦争の理不尽さや、女性や子供などが対象になる命を軽視した描写が出てくる小説などはいろいろ読んだ時、しんどいなと思っていたが、今回は奥さんと娘がちらついてさらにしんどくなった。自分がやられることより、自分が大事にしていることやもの、人がやられる方がしんどく感じるのだろう。やられるの具体的な内容は書けないくらいやるせなさが強い。

ただ、このような時代はいつ来るかはわからないので何とかそんな状況になったとしても僕含めてうまく、そして自由に人生を歩きたい。そんな準備をしたいと思っているがどんな準備をすれば良いのだろうか。今の時代、女性だからと言って簡単に踏みにじられないが、逆に、男女かかわらず能力がないと搾取されてしまうように感じる。性差による差別ではなく、能力や所得などの所持の有無での差別がおそらく出てきている気がする。

、、、、もう少しうまく書けると思っていたが、この辺りは僕はまだうまく言語化できていないようで、中身が思ったほど膨らまなかった。。。もう少し色々なことを書いてまた戻ってくるトピックだろう。

本書の感想に戻ると、かなり詳細に当時のドイツの空気感が描写されており、読んでる感覚としては軽やかではない。背景にある悲劇的な空気もうまく出ていて、弱っている時に読んでしまうと一緒に憂鬱となってしまいそうである。しかし最後の謎解き(読んでいるときは謎解きがあるとは思えない、なぜならただの行軍と思ってしまうから)でやっとフワッと爽快感が出る。

主人公は戦時中から英語に憧れる女の子で、年齢設定は17歳くらい。それにしては大人びている描写だが戦争を生き延びるというのは青春を謳歌しない、子供らしさを味わえないということかもしれない。ロシア軍から昔の知り合いの死について重要参考人であるエーリヒに会ってこいと言う命令をされて、いろんな理不尽な場面に出会いながら旅を続けていく。その旅の足取りは重く、なぜこんなことをしているのかの理由が明かされない。あまりに長すぎて理由などなく、戦時中の(実際は終わっているが)心身のダメージによる服従なのかと疑ってしまう。というか理由などを考えている余裕ができないようなヘビーな場面が続く。気候も良くなくてなんかずっと暑い。お風呂にも入れない。

最後に明かされた理由だが、幼少期のトラウマを抱えているかもしれないエーリヒにそのトラウマの元凶の人が死んだことを伝えて安心させたかった、というものだった。そこで戦争後のこれからの時代を生きる人に対するトラウマを乗り越えて頑張っていこう、というポジティブさが初めて出てきて物語は完成する。

けっこう長く感じて、実際小説なのに10日くらい読むのにかかった。途中諦めかけたけどなんとか完走した。よかったかどうかでいうと、、悪くはないって感じ、これが人生だろうか。そんな簡単な言葉では片付かない。

うまく締めれない。

振り返りは続く、JSH2022、もう2週間前か。

以前の上司から新たな自分の捉え方を指摘され、未来へと進むことを決意したちゃんまん、その行き先や如何に!?

二日目

普通に二日酔い、3日目はoralの発表が午前中だったので2日目の夜はセーブしようと心に決める。

モーニングセミナーは岡山大学の縁西先生のFLの話を聞いた。縁西先生はバンクーバーからダブルヒットシグニチャーを引っ提げて帰ってきたすごい人なのに、すごい人感が全くないのがすごい。そしてそのあとの遺伝子パネルのセッションで1人だけ背もたれにもたれていたもすごい。モーニングセミナーは主要環境中の細胞との相互作用のためのEZH2やCREBBPなどの話だった。MHCに関わる分子のスクリーニングでCREBBPが検出されていないことを質問したかったが自信がなくて後に個別に質問しに行ったらなんかうまく舌が回らなくて、変なやつみたいになったが快く答えてくれた。臨床検体であることや、統計学的な限界と答えてくれた。

実は僕は縁西先生の隠れファンだ。先生が日本に帰ってきてすぐに京都で研究会の講演にきてくれた。そこで僕はもう1人の講演した先生にトンチンカンな質問してしまった。多発性骨髄腫のMRDはIgHの部分を見ているが、サブクローンが多い骨髄腫においてそれはマーカーになるのか、といった質問だった気がする。IgHの部分はクロナリティの話なのでサブクローンは関係ないはずである。今はない講演会の後の懇親会で、教授直々にそんな解説を受けていた僕に縁西先生はそういうの大事ですよね、と言ってくれた。微妙に違うような気がするがそんなエピソードがあってから先生の隠れファンなのだ。

というより遠西先生だ。失礼極まりない。

その後STEP4の会場に行った。日本の若手が自分の研究のプレゼンをして、海外のコメンテーターが研究について、そしてプレゼンについてアドバイスをもらうセッションだった。テーマはAMLだった。2人とも女性でとてもうまく発表していた。1人はコメンテーターの先生からの質問に笑ってしまう癖があって、損をしているなと思った。笑ってしまうとヘラヘラしている感じがして、真剣にしていない感が出てしまっていた。自分もわからない時や困った時に笑ってしまうので気をつけようと思った。

その後はベネトクラックスの血中濃度の発表やMMにおけるMRIをまるまま機械学習にのせて予後予測に使うという発表を見た。機械学習の発表はガッツリ情報通信系の人が発表していた。脾臓が意外と予後と相関するというものだった。とても面白かったが、機械学習に放り込むデータがMRIだけというのは無理があるように感じた。例えば骨病変がないMMにおいては力が発揮できていないので、もっと広範囲にデータを入れたいところだが、そうすると今回の目玉の画像→分類がうまく使い無くなってしまう。その辺りはとても面白いように思うのだがどうだろう。今後の課題にしたい。

その後はニッチや分化の基礎といった今まで聞いてこなかったセッションに行ってみた。研究手法や、考え方がなんか掴めそうで掴めない感じ、成長が必要と感じた。来年に期待だ。

イブニングセミナーはリアルワールド研究の意義を聞いた。臨床試験には入れないような人たちの治療成績の検討はとても意義があるが、そのデータはレジストリや診療報酬データベースなどからしか取れない。ただ、このデータを取る作業がやたら面倒なので研究が進まないので、データに対する利便性を高める、という個人的に設定している課題には答えてくれなかった。どのようにデータベースを作成するかがブルーオーシャンと思うのだが、、、、これも今後の課題だ。

その日は同期と教授と3人でもつ鍋屋と居酒屋へ行った。たくさん話したような気もするし、何にも話していない気もする。心に留めるべき話があったようでなかったようでもある。翌日にプレゼンを控えていた僕は飲酒量をほどほどにしたつもりだった。しかしホテルに帰ってフロントにあったハンターハンターを読もうとしたが、全く頭に入ってこなかったので結構飲んでしまっていたのだろう。

3日目

朝はモーニングセミナーで筑波大学の坂田先生のT細胞リンパ腫の話を聞いて、自分の発表をした。英語のセッションだったので結構練習した。英語だったからではなかったが、プレゼンは50回練習するのが当たり前、という説をその通りだな、と思ったこともあって練習した。結局30回程度だった気もする。

https://note.com/dr_kano/n/ne033e8c4cff6

同期が見てくれたが、うまく喋れていたようだ。質問も座長をはじめ、その分野で今をときめく先生、数回前の学会会長を務めた先生、さらに同じ大学の一年上(元同学年)の東大に行った先生がしてくれて大盛り上がりだった。ある質問で僕もそこが不思議に思っている、という回答でウケたのが個人的に見どころだ。やっぱり僕は発表が好きなんだなと思った。発表というより自分のしたことをみんなとシェアするのが好きなのかなと思った。続けれたらと思う。

一応昼のAMLビートの話をきたが疲れてしまったので新幹線で帰宅した。お土産は1万5千円分、全て自宅用とした。

今回の学会は久しぶりの現地での出席だった。とても充実した3日間で、行かせてくれた家族には感謝だ。ベッド持ちに戻ってもいけるように研究は続けようと心に決めたちゃんまんであった。

振り返り、JSH2022、人に優しく自分に厳しく。

1週間前、僕は九州は博多にいた。今の時間はちょうど教授と同期と居酒屋で焼き鳥を食べていた。

JSH2022、いわゆる日血。今年は九州大学の赤司先生が会長で、福岡でハイブリッドでの開催となった。僕は1日目にポスター、3日目にoralで発表してきた。久しぶりの現地開催で参加できたのでレポート的なものを書いてみる。

1日目

朝の5時に出発、暗い中最寄りの駅まで歩いた。家族3人で。

学会参加の間、奥さんと娘が愛知県の実家に帰ることになり、出発を一緒にしたのだ。お父さんは学会へ、お母さんは実家へ。

そして新幹線で博多へ。せっかくなので同期と一緒に仲良く乗った。ここで、ハプニング。同期の分も新幹線のチケットをとったのだが、事前に僕だけ発券したと思っていたら、実は同期の分も発券されており、同期が博多駅の駅員さんにバチバチにキレ倒した後にそれに気がついた、という話。思い込みは怖いなと改めて実感。普通に許してくれた同期にも感謝。

そんなこんなで到着。

この学会での一つのテーマは機械学習だった。自分が少し勉強していて、その未来性を確信している手法がどのくらい今の日本の血液内科に浸透しているのかを実感することをテーマとした。演題でAIやmachine lerningでヒットしたのは5件程度だけであった。

1日目の午前中に2つの機械学習を使った演題があった。

ひとつはM2マクロファージを認識するために使ったもの、もうひとつはCML細胞をFCMで判定するものであった。どちらも画像認識をうまく使ったものであった。

あとベネトクラックスの血中濃度の発表も見た。中等度阻害のものを使った場合、100mgにしても濃度は高くなってそうだった。VEN+AZAに関しては色々話題があった。なんなら今回はVENだけでセッションが立つくらいだった。みんなが待っていたんだろう。よく言われるけどAMLって薬がなかったから効いたらならケモ→移植、ケモの内容はアントラサイクリン系+中当量キロサイド、ダメならMECやFLAGMなどETP足すか、大量キロサイド、それでもダメなら非寛解移植って感じでまさに修羅、ケモ地獄の血液内科だった。でもVEN+AZAが出てからは治癒目指す人にはマイルドな選択肢が増え、さらに移植ができないような高齢者にマイルドな治療ができるっていうのが本当に救われた感がある。患者もそうだが僕ら血液内科も救われたのかなと思う。治る可能性が低い人への強めケモはやっぱりしんどい。病棟スタッフ含めてみんなが疲弊してしまう。そんな心理があってか大流行りだったのだろう。

ランチョンはAMLのMRDを見た。考えればMMみたいにFCMで出来そうだ。AMLは再発時にクローンが変わるのが多いのがネックかと思ったら80-90%は検出できるみたいで、有用そうだった。

その後は会長公演とワイズマンというダンブルドアみたいな人の話を聞いた。白血病が分化後の細胞からではなく、幹細胞が出自だという概念には驚いた。それもあって分化の話は結構熱いのかと納得した。

午後にも一つ機械学習の発表があった。scRNAseqから機械学習でその段階の細胞集団が揺らいでいるかどうかを検出できる技術を使ったものだった。分化って奥が深い。

あと、biobank japanのデータを使ったgerm line と関連があるリンパ腫についての解析の発表も見た。こっそりテーマと思っている分野でまたじっくり考えてみたいと思った。

最後にポスターで発表した。発表したというかポスターの前に立っていただけ。Facebookにあげる用の写真を撮りに来た教授と、隣のポスターの人、昔我々の研究室でPhDを取って今は製薬会社で働いている人が話しかけてくれた。そして終了後にMRさんが数名話しかけてきた。コロナ禍で全く会っていないMRさんが僕のことを認識していて、話しかけてくれるのはすごい。どんな訓練を受けているのだろう。

夜は昔市中病院にいた時のボス、その同期、そして僕の同期の4人で居酒屋に行った。居酒屋で喋りながら飲むのが久しぶりで楽しかったし、やっぱり料理が美味しかった。

ボスの同期は製薬会社で働いていて、企業としての人の成長させ方の話は面白かった。というか、病院の医者はやっぱり教育や経営についての系統だった教育がなされていないので他の業種では当たり前ができていないのだろうな、というのを痛感した。ショックでもあった。知らないのって損やし搾取されているのではないかと思う。

あと、大学院2年目の時に辛かった話を聞いてくれて、それって自分がしょうもないミスをしている自分を許されへんから辛かったのではないか、というボスの考察が(ボスもそうだったみたい)とても自分の中にすっと入ってきて、なんだか気持ちが軽くなった気がした。

ちなみにコングレスバックは奥さんに色を聞いて、返信来るまで何個かのセッション聞いて、言われた色を取りにいったらなくなっていた。紺と水色のどちらかというチョイスだった。意外と他の血液内科の先生はセンスがあるのかと思った。そして奥さんもすごいなと思った。

ちょっと長くなり始めたのでここで区切る。

アスペルガーは不便だ、世の中は便利になっているけど。そんなアスペルガーはいいものだ。便利だけが全てじゃない。

長いタイトルは熱い小説を読んだから。

物語は空気が読めない、普通がわからないアスペの高校生、田井中とロリコンであることを隠して生きている教師、二木先生の話。

この高校生の、他人と違う感性があることへの妙プライド、変に他人を意識してしまう過剰な自意識、文字に色がついて見えるちゃんとした自閉症感、過集中の癖、とても共感ができてしまう。作者はおそらくちゃんとしたアスペルガーか、とても勉強したかのどちらかであろう。それかどちらもか。

僕はどうやら軽度のアスペらしい。そしておそらくADHDもある。行間は全く読めないし、いわゆる言葉通りしかなかなか意味がとらえられない。不注意が半端ない。ただし、世間一般のイメージにある他人に興味がないあのアスペなわけではない。自分で言うのは恥ずかしいが、僕はとても人間味がありいい感じである。

ここでいういい感じの人感は、うまく自分を乗りこなしている感といった方がいいかもしれない。人からのいい感じの像ではなく、自分から見てのいい感じの像である。陰キャではある。しかしこのいい感じの人感はここ10年ちょっとでやっと身につけることができたように思う。それより前はこの田井中のように変に尖っていて、変に自意識過剰で自意識に雁字搦めだったと思う。周りとは違う気がするが、何かすごいわけではない。一方ですごくなるための努力はしていない。というか何をしたらいいかわからない。とりあえずそれなりに勉強はしていたが、大学受験では浪人した。本当にそれなりであったようだ。浪人生の一年は結構がんばって勉強したように思う。医学部に入れた。それまであった何者かになりたいと焦りがなくなっていった気がする。

大学入ったあたりからは医学部に入れたという自信も持てたからか、周りを見る余裕ができたからか、自分に何ができて、何ができなくて、社会的にはどのような立ち位置になれそうなのか、そして自分は何がしたいのか、というのが徐々にわかり始めた。そしてそれなりにうまく立ち振る舞えるようになった。立ち振る舞うと言うと他人に対してみたいにであるが、実際は自分に対してだ。自分に対して納得ができるような行動ができるようになった。それまでの何かにはなりたいが、何にもなれていない、でも何になりたいかわからないので何をしたらいいかわからない、というモラトリアムの悩みが徐々に薄れていった。これが思春期から青年期への成長なのだろう。

そんな成長をした僕からすると、田井中の苦しい感じ、顔が赤くなる感じがなんとも懐かしく、その後の成長を予感させるフラグがとても胸が熱くなる。

作中で高校生の田井中は偶然、美術の先生である二木先生がちゃんとしたロリコンであることを知る。しかもロリ専門のエロ漫画家であることも知る。最初は先生が書いている雑誌を万引きして読んでいたのだが、その万引きがバレて身元引き取り人として二木先生を指名するところから話は動き出す。

田井中は先生がロリコンである証拠があると脅し、先生に何か要求をしようとする。しかしうまく要求が思いつかない。先生は田井中が普通とは違うことに誇りを持っている反面、それを重荷に思っているという田井中の矛盾を煽り、何か特別なものがあるのかと問いただす。この指摘がかなり的確で、田井中をうまく説明できている。なんなら僕を説明されてようでこそばゆかった。

田井中は実は物語を考えることが好きで、勢いから短編小説を書き上げる。この書き上げるときの過集中感がまさにアスペである。漫画家ということもあってか、先生は作品を作るということについて理解が深く、その小説を添削し、直してこいという。書いている最中に田井中はこれが自分がやりたかったことかもしれないという予感を持つが、先生にとって自分が小説を書くその時間は、自分から解放される時間であるということに気が付き、書くことをやめようとする。ここで先生は素直に解放されるためと言うが、さらに田井中が100人に1人レベルの才能があり、やっていける可能性があるとも言う。そして才能があるがちゃんとやらない人のことをとやかく言う。ちゃんととは人の目に晒したりして作品をよりよくする努力のことみたいである。ちょっとでも才能があるやつはたくさんいるが、そのちゃんとする、という行為をしない人が多い、そんなことを言って先生は嘆いていた。

この田井中のとりあえずやりきることと、先生のいう人の目を気にするという両観点は何かを作る上でとても重要と思う。自分ができると思って一心不乱に何かをやっているとそれを良くするために人の目にどううつるかが大事であることが頭から抜けてしまう。でも何かを作るにあたってはこのブログみたいに完全に自分のためだけならいいが、発表や研究のように人の前に出して初めて完結するものはやっぱり人の目にどう映るかの客観的な視点が必要である。これは大学院に入って理解できたこと達の一つだ。ちなみに今回の日本血液学会のポスターや発表スライドは結構いいできだったと思うがそれは見せ方の勉強を結構したからだ。発表スライドは同期にも褒めてもらえた。

先生はロリコンであるというサガを背負っていることに葛藤し、そんな自分を否定せずに、かといって社会的に溶け込むことを決めた。ジョジョ4部の吉良が重なる。自分の性壁を理解し、慎重にコトをしながら生きていた吉良吉影、二木先生はコトはしないがそれを隠して世間にうまく、田井中からするとうますぎるほどに溶け込んでいた。

そして先生はクラスの前で田井中が賞に応募するとふっかける。それをきっかけに田井中はいじめられてしまうが、結局気になっていた小説を書くという行為を再開する。いじめの途中でなんと二木先生がロリコンであることを独白した音声がクラスの前で再生されてしまう。そして先生はそれを認め、一巻の終わりを覚悟したその時、田井中がその音声は先生に自分の小説を音読してもらった時のもので、本当のロリコンは自分だと嘘をつく。その辺で話は終わる。

田井中は結局先生に猛烈に憧れていたことに気が付く。普通じゃない自分を圧倒的な努力で普通にしている先生に憧れていた。でもそれって結局人の目を入れるということではないか。僕も自分がある程度客観視できるようになって楽になったし、意外と自分ができていることがわかるようになった。でもそれは客観視だけではなく、いろんな人と話したり、評価してもらったりしてわかるものなのだろう。今後田井中が二木先生に習い客観的な視点を入れつつ成長するであろうことを匂わす本書ははちゃめちゃな設定の割に感動させることに成功している。

関係ないけど褒められるってとても嬉しいことである。1年くらい前に、僕も教授からお前は臨床がうまい、と言われたことがあって今でも思い出すと嬉しい。なので僕もできるだけ他人のことを褒めようとしている。なかなかうまくいかないが、、、

結局のところ厨二病の高校生の成長譚であったこの「二木先生」、厨二病を主人公にして、その厨二病の心理をうまく描写できているのが胸熱な小説だった。

ちなみに雁字搦めは「がんじがらめ」と読む。がんじがらめ、と打つとでた。便利な世の中だ。

サロメって聞いてまずはニャロメが思い浮かんだが全く関係なかった。

またまた原田マハ、サロメを読んだ。

舞台はお決まりの1900年代、人々が食べる以外のために生き始めた時代。

サロメという聖書の一説にある、エロすなややこしい話を題材に、オスカーワイルドというハイセンスで時代に乗った、そしてゲイの劇作家がアレンジした話をめぐる物語。

サロメのあらすじは一回で聞いただけでは覚えられない。王様の娘のサロメ(おそらく、本当には名前はない?)が牢に入れられている預言者に恋をする。王様から迫られているサロメは王様に提案する。いい踊りができたらひとつ願い事を叶えてくれと。王様はもちろんokするしサロメはすごくていやらしい踊りをする。王様は満足し、願い事を聞くとサロメは恋をした預言者の首を持ってきてほしいと言う。当時、預言者殺しなんて考えただけでも大変なことだったみたいで、王様は面食らったが結局サロメに預言者の首を渡す。そこでサロメは首だけの預言者にキスをする。そんな夢のような話。

ワイルドのサロメを有名にしたのはその話の内容ではなく、オーブリーという挿絵作家であったという話。首だけの預言者にキスをするシーン含め何枚かの挿絵が凄まじいみたい。

でもそのオーブリーは結核で早く死んでる。その短い生涯ではサロメを通した大成功とワイルドに裏切られた悲しみがあるよーみたいな話。

語り手はオーブリーの姉のメイベル、彼女は弟の才能を信じていたし、時代的に男を立てることに従事していたし、かといって自分を諦めきれなくて女優として花開かせるために劇場主に体を許したりする。体を許すってなんかエロい。(直球)

ワイルドにはワイルドの人生があってそれは芸術を愛している生き方であるが結局は一人で死んでいく。

有名であろうサロメの話を全く知らなくても全編に何回か登場し、そして微妙に全編のプロットになっているところが読んでいて気持ちがよかった。あと、原田マハの小説大体においてやけど芸術っていいですねぇの精神がところどころにあって「オーブリーの絵はそんなすごいもんか、そしてワイルドの戯曲もすごいねんな−」と設定を信じ込ませるような文体である。

僕は芸術などの直接生きるのに必要性について、ないと思うけど、あると信じている。なのでその信じている部分を原田マハは応援してくれている気がして僕は好きだ。

ちなみにニャロメは文字は「」の3文字しか知らないらしい。(ウィキ調べ)

Iの悲劇、最後まで簑石が読めなかった。

米澤穂信の小説。昔に氷菓を読んでなんだかラノベ的な設定小説だなと思っていた。

なのでなんとなく、軽い上滑りな話かなと思いながら読み始めた。

今から思いっきりネタバレを書く。なぜなら僕のためのブログだから。

舞台は過疎で人が全くいなくなった村、簑石。そこに市肝入りのプロジェクトとして外から人を住まわせるIターンプロジェクトが始まる。産業のない田舎に家を残し去っていった住人とそこに住みたい人を繋ぎ、住ませる。住むにあたってのトラブルはまずは役所に相談し、対応する。そんな計画。

主人公はそこそこ優秀なやれやれ男子、万願寺。相棒はとにかく明るい新人女子、上司は何もしない系の課長、その3人チームの蘇り課が活躍し、Iターンプロジェクトに四苦八苦するお話である。

話は何人かの住人が簑石にやってきてはなんらかのトラブルで去っていくまでがセットで、それが章だっている。その中で主人公が奔走し、翻弄され、新人女子が適当で、課長がなぜか最後に出てきて締める。

田舎ののどかさを夢見てやってくる住人の夢は人それぞれで、現実とのギャップに対する対応も人それぞれである。その対応は少し胸がキュッとすることが多い。

ヘリコプターのラジコンの音にうんざりした小さな子供がいる3人家族は夜な夜な音楽を爆音で流して対応する。逆にその音楽にうんざりしてラジコン太郎は爆音家族の家に火をつける。その裏でもしかしたらその小さな子供はネグレクトなのかもしれない描写もある。

都会の汚染された空気で呼吸器系の疾患が悪くなり、引っ越してきた子供が、同じく引っ越してきた本好きのおじさんと仲良くなる。しかし冒険好きで動き回れるようになった少年はおじさんの家で本が関わる事故にあう。

不幸が重なった青年が妻と一緒にやってきた家には小さな仏像があった。その仏像はやや有名な人が彫ったもので、その存在を知ったちょっと強欲なおじさんが仏像による観光事業を試みる。しかし青年は不運が重なっていた中で会えた仏像に運命を感じ、次の所有者に渡すまで無事に管理することを決意していたため、強欲なおじさんには渡さない。としていたがうっかり盗まれてしまう。おじさんは鑑定に出したかっただけだが、うっかり盗まれたのは妻がおじさんに仏像を見学させた時だったようだ。青年は妻が盗られたことを自責せず、おじさんから取り返す方法として主人公達を巻き込んだ作戦に打って出る。

そんなこんなしているうちに結局新人女子と課長が実はIターンプロジェクトの成功を阻止するために動いていたことが最後にわかる。理由としてはそんなところにお金をかけるなら市民に対しての福利厚生などをしっかりするべきだ、という世知辛いものだ。

途中で主人公と都会でエンジニアで働いている弟の会話だけの章がある。そこでは弟が主人公に田舎の生活を支える税金が都会から出ており、そんな先のない場所での暮らしに意味があるのか、と問い詰めるシーンがある。

富の分配って考えれば考えるほど難しい。確かに生きるために金がいる。やりたいことがあれば余計に金がいる。そんな時に自分にとっては努力していないように見える人たちにそれに見合っていないお金が流れているのをみるととてもやるせなくなる。しかしそのようなある程度の補償がないとおそらく生活のために犯罪をしなければいけない人達が出てくるだろうし、その補償で回っている経済も止まってしまうだろうし、必要なのだろう。

ここでTwitterで見つけた悲しいツイートを紹介しよう。

彼が留学するかはわからない。留学は結局いろんな運がないとできない。それに向けて、うまくいってることもあって、一方でうまくいっていないこともあって、それら含んで自分なりに努力しているだろう。マルチタスクが苦手だったが少しずつ色々しているらしい。突き抜けるためには一本集中!パターンと悩むこともあるけど、目標は突き抜けることではなく、進むことなのでこのままでよしとしましょうなんて言いながら。

この主人公は優秀で、出世を目指している。しかしなんだかんだ人が好きで、人の役に立つ役所仕事に誇りを持っている。だからIターンプロジェクトに参加した変な人たちにやれやれ言いながら対応する。でも最後に一緒に働いていた二人は別方向を向いていたことを知る。

主人公はその人それぞれのそれなりの現実と折り合いをつけた、しかしその中でもできるだけ希望、というか夢を追える生活を提供しようともがく。でも新人女子と課長はその田舎での夢を消す方向に細工をし続けていた。どちらも正義なだけにとても悲しい。僕はどちらかというと夢見がちで、その夢を応援してほしいし、夢を応援したいと思っているので主人公側であるが、現実的には新人女子達の考え方も必要とわかっている。この小説はなかなかいい軸の話であった。

結局簑石はなんて読むかわからないし、今回もコピペしたのだが、米澤穂信の本はこれから読んでいこうかと思った、なんなら米澤穂信もコピペだ。

そういえば今日「生協」という字が書けなかった。留学とかお金とかそんなレベルじゃない。あと、設定小説って何?

ASH22に落ちた話とJSH2022の準備をしている話

最近の身の上話を備忘録的に書いていく。

2022年9月30日の朝にASHから不採用のメールがきた。

3年前の同じくらいの時期に採択の通知メールがきた。その時は急性期の市中病院でたくさんの患者を見ながらの通知で舞い上がったし、今回も舞い上がりたい気持ちがとても強かった。

しかも、その1週間くらい前に後輩に不採用の通知が来たと聞いていたので、採用されているのではないかという期待が大きくなっていた。3年前はまず不採用者にメールが来て、その後に採用者にメールが来る流れだったからだ。でも今年は先輩が採用されており、その通知メールが同じ日時であったことからおそらく同時の通知メール送信になったのであろう。その方がイベント性もあるしいいと思う。

実はちょっと長いスパンの計画から始まった研究であり、その話を記しておこうと思う。

計画は今年の2月くらいに思いついた。臨床研究論文をASHを経て書く、というものだった。

まずは大学病院の50例くらいを使って、今年の4月に抄録の締め切りがあった日本血液学会に演題を提出した。テーマはほぼ同じコホートを使った少し切り口の違う研究2つだった。教授からこれらをパイロットスタディとして大学関連施設6施設から症例を集める多施設共同研究を計画する許可をもらった。我々の教授は若いということもあってか僕らの提案には厳しい目を持ちながらであるが寛容である。見習いたいものだ。同期とはちゃん呼びしている。

多施設での臨床研究を実施するのは今回が2回目であり、結局症例のデータは自分で集めるのが早いと痛感していたので、今回もそのつもりであった。しかしおそらく300弱の症例になるので一人で集めるのは大変だし、集計時の計算のミスの危険性もある。ということで同じコホートで違う角度の研究を同時にできるというメリットつきで一緒に研究をする人を探した。ありがたく、後輩のI君が手を上げてくれた。大学院1年目で、臨床研究の経験はないが、そんなことはどうでもいいくらい、優秀で人当たりが良い後輩である。逆に彼に僕と研究してよかったと思ってもらえるよう意識しなければ、と焦った。気がする。とりあえずスピード感を持って、具体的に前に物事を進めていくということを意識した。つまり相談されたことはできるだけ早く返し、具体的な改善点を添えるようにした。スピード感を持ってってなんだか政治家みたいだ。

理想の先輩ないしは上司像、というのが今の僕にはある。自分の興味あること(今で言うと研究)を現役でたくさんしていて、一緒にするとなればとりあえず前に進めてくれる人、である。昔臨床研究のさわりを教えてくれた先生や今の教授がモデルであるが、僕はとてもそういう接し方をしてもらってとても得をしたし、みんなに得をしてもらいたいと思って心がけている。間話。

I君と一緒に研究するとなってからはコソコソ相談→教授にお伺い→実施→コソコソ相談→教授にお伺い→実施、という感じで計画立案、各施設へのお願いの手紙、倫理委員会、データ採取などを進めていった。そして7月くらいには3施設から症例が既に集まり、そのコホートで8月に締め切りがあるASHへ提出した。

100例くらいのコホートで、2つの項目を使って中央値のOSが8ヶ月と26ヶ月の2群に分けれる、というような研究とした。実はその2つは機械学習を使ってOSの期間の予測寄与が高いものを検索して選んだ。機械学習については2021年の秋にプログラミングから勉強し始めたもので、どこにつながるかはまだわからないが、気合を入れればある程度のことはできる、ところまでできるようになったと思う。ちなみに今年の日本血液学会(JSH2022)では機械学習を使用した演題は5題程度であり、世間での流行り方や、その有用性を考えるとまだ血液内科では先取りできているのではないかと思っている。

そんなこんなでASHへ提出したくらいに日本血液学会に出した演題がoralとposterで採択となったという通知が来た。今までならスライド作成などは直近まで手をかけないが、今回は3月くらいからの計画ということもあってか9月の中旬にはある程度完成させた。最近研究カンファも先に先に準備できるようになった。人は30過ぎても成長できるのだなと実感している。

ポスターの方はバラバラのスライドをA4に印刷し、現地で貼ろうと思っていたところ、教授から「おそらくその形式の人は20人に1人くらいやし、惨めで胸がキュッとしてしまうと思うからお勧めしない」と言われ変更した。しかし作ってみるとなかなかいい感じのものができた。

個人的にはこのグラフィカルサマリ(そんな言葉があるか知らないが)が気に入っている。

これらの研究は残り施設から症例データを集めて論文にする予定である。実は大学院生を対象とした論文賞と海外学会発表賞があって、残りの大学院生生活で頑張ってみたいなと思っている。遊ぶ金欲しさである。

この計画はベッド持ちの大学院2年生の年度末に作ったものである。その時分は基礎研究の実験とベッドの仕事でややパンク状態であり、とてもしんどかった。思い出すと動悸がする、気がする。そんなしんどい時に、未来に楽しみを作ることで心の平安を保とうとして作ったものであるのだ。大学の症例をパイロットスタディとして日本血液学会へ提出し、それをもとに他施設共同研究にして症例100以上で有意差が出れば採択されるという噂のASHに出して、パンデミックがどうなっているかわからないがアメリカへ行って、という楽しみを作ることで乗り越えようとして作った計画だったのである。結局ASHの採択はなかったが、この4月からのベッドフリー期間にメリハリをつけて生活することができた。メリハリというか楽しみか。

結局ASHでの採択はなかったが、I君との相談は楽しいし、研究を完成させる楽しみもできた。さらに僕は研究することが好きなのかなと改めて感じることができている。あの時、しんどい時にあえてやることを増やしてまで楽しみをとる、と踏ん張った過去の自分を褒めてあげようと思う。