ハクション大魔王に出てくるあくびちゃんって今思うと新しい概念やな。あくびしたらなんか起きるって他で聞いたことないい。くしゃみは噂と関係してるとかあるけど。

喜嶋先生の静かな世界

を読んだ。

正直感動した。

内容はパソコンが世に出たくらいに大学生になったアスペ男子が研究にはまっていく話を通して研究とは素晴らしいものであるということを訴えてくるもの。

大学までの勉強は誰かが知っていることを知っていくものだが、大学から始まる研究とは誰も知らないことを誰かに知らせることである。

テーマは与えられるものから徐々に自分から見つけにいくものとなる。

研究には王道しかない。それは論理的に事実を積み重ねていくことである。

そのような内容がアスペ男子目線で語られる。控えめな短い文章で表現されたそれらはとても心地よいものであった。

僕も研究の山に登り始めた一人として、研究について真摯に語っているこの本がとても好きになった。多分今しか刺さらない本だろう。

どうやら森博嗣の自伝的小説らしい。奥さんの名前が小説も森博嗣のも星の名前だそうだ。

僕もある程度アスペ男子みたいだが、最近そうなのだな、と思うところと、いや、アスペが抜けてきているかもしれないぞ、と思うところがある。

昔、奥さんに

「全然あくびがうつらないね」

と怒られたことがある。

確かにあくびがうつるということは知っていたが、それは事実としてで、自分もそのような行動がある。と認識していなかった。

例えば反射は大脳を通さない体の動きです。熱いものを触った時に手を引っ込めるでしょう?と言われたら確かにそうだな、あの時ああなるのはそういうことかと思っていた。

しかしあくびはうつるものだ、その空間の酸素が薄いからです。とか、昔人間が集団で生活していた時に安全な時にみんなで一気に寝た方がよかったからです。とか言われてそうか、そういうこともあるもんやな、としか思っていなかった。僕もあくびしてしまうな、とは思わなかった。

奥さんに指摘されて、その協調性のなさをあらためて恥ずかしく感じて、それからはできるだけみんながあくびをした時にこっそり自分もあくびを意図的にするようにした。

その甲斐あって最近は意図しなくても、誰かのあくびを見ると自分もあくびをしたくなる。

なんなら誰もあくびをしてなくてもあくびができる。

土曜日のおっさん

誰がやねん

一気読みしてしまった小説。

内容は独身の中年が息子持ちの女性と結婚するところから始まる。

その結婚する中年が語り手で、なんとかいい父親になろうと気を使いながら息子と接していく。いつか親父と言ってくれるのだろうか。とか言いながら。

それまで全く結婚など考えていなかった中年は結婚を機に誰かと一緒に生活していくこと、自分以外を大事にするという行為があることに実感を持って気づいていく。

しかし息子はなかなか本音を見せてくれない、中学生なので当たり前だがそれにしても不気味なくらいいい息子であり、それは全て演技ではないかと思うほどであった。しかし虐められていた過去を持つ息子に腫れ物を扱うようになってしまうのをなんとかうまく誤魔化す中年。いや、誤魔化せているか悩む中年。

マイホームを買い、3人で住み始めようとするがその街では数年前に中学生が毒物による同級生無差別殺人事件が起きたことで有名だった。しかもその中学生がそろそろ出所するというらしい。

引越し後、その殺人中学生が息子に影響を与えている気がする。というよりその完璧に近い息子の挙動がやはり演技ではないかという思いが徐々に強くなる。そしてその裏に殺人中学生があるのではないかと考え、そして確信となる。

そして殺人中学生は(今は20歳くらいだが)出所しており、ラストシーンで中年の前に現れる。

人生に意味はない、実は簡単に終わらすことができる。それを証明したい。

そんな甘ったるい終末観の殺人中学生とそれに影響された息子に中年がそんなことはないと必死にかっこ悪く否定する、最後は息子も中年の想いをわかってくれる。

ラストシーンでは毒薬が少ない確率で入っているラムネを食べまくるシーンがあったり割にエキサイティングなストーリーで一気に読んでしまった。

いや、ストーリーとしてはあるあるかもかな。この世は実は自分が認識しているだけで簡単に終わらせることができる。そんな哲学的な考えに踊ってしまう若者が無茶するけどおっさんがそんな簡単じゃないよ!と否定するストーリー。

多分僕が一気に読んでしまったのはこの中年が結婚することで気がつき出した、誰かと一緒に生きていくことの難しさと、さらに子供が加わった時の立ち位置のわからなさに悶えていたところが描写されていて、その悶え方が妙にリアルで、妙に自分と重なったからだと思う。

子供はわからないから実は怖いかもしれない、というテーマがこの本に多分ある。

でもそれは子供だけなのか?

人は人を理解することはできない、それは自分も含めてだって加治さんが言ってた。

分かってるけど、他人に分かってもらいたかったり他人を分かりたかったりする。

最近時間ができたので進路など未来のことをよく考える。ついでに自分以外の人のことについて考えるようになった。

奥さん、子供、後輩、同期、たまに先輩、ボス。

みんな違う、でもみんな幸せになってほしいと心から思う。けどやっぱり自分が幸せになりたい。だって他人の幸せを真に理解することはできないはずやし、それやったらちょっとでも分かりやすい自分の幸せから考える。それが始まりな気がしている。他人を想えば想うほど自分を大事にしなければいけないなと思う。まずはそこからなんかなと。

話はそれたけど、明日直明けにまずビールを飲む。話はそこからだと思う。

寝れないってことはホラーだったのか?

このブログはある時に今まで読んだり観たりした物語を全く忘れていて、でもそれがとても大切であった気がしたという体験から備忘録的に色々触れたものを書いていこうというスタイルとなっている。

きっかけはこの4月から時間が空いたし久しぶりに本でも読んでみるかと思い立ち、人気の本をインターネッツで検索していたところ、砂漠がヒットし、ポチろうとした時です。

「いや本屋で買うか、本屋好きやし」

と思い直してポチらずに近いうちに本屋へいこうと心に決めたのです。

しかしその翌日くらいに奥さんから

「私も本読もかな、なんかお薦めして」

とリクエストをもらったので久しぶりに自分の本棚を見たらなんと砂漠があるではありませんか。

そうです。インターネッツではなんとあらすじまで見て、面白そうだなと思ったのに実は読んでいたのです。そしてポチらずに済んだ。

結局内容や読後感を全く思い出せずに今に至るのですが、とてももったいないお化けやな、ということでこのブログを再開したのです。

の、はずが溜まってしまった。

溜まるということはすなわち触れた物語や考え方から時間が経っており、忘れてしまい始めているということなのです。

溜まるとかくとザ○メンみたいです。

すみません。

とりあえずこれ。

同期にお薦めされた本。

「読んだ後になんやこれって眠られへんかったし読んでみて」

とのこと。

一穂ミチのスモールワールズ。

これは自分用のブログなのでネタバレお構いなしに書いていきます。

6つの短編小説で、それぞれは同じ世界で、全ての物語で淡い絶望感のある空気があるって感じです。

最初のネオンテトラは子供が欲しくい主婦が結局は子供(正確には姪)に子供を産ませる話、不妊というぬめりとした題材で若干サイコテイストの始まり。

次の魔王のきかんは弟がでかい姉に振り回せれて、ヤリマンの濡れ衣を着た女の子とくっつきそうになるが、実は姉の夫がALS(多分)で離婚を告げられていて、最後には勇気を出していくって話になってちょっと希望が湧くストーリー。

ほいでその次のピクニックは変に被害的な考えになってしまったり、変わらない夫にイライラしたりと赤ちゃんを育てる母親のリアルなしんどさの描写から、事故で祖母が赤ちゃんを死なせてしまう。その加害者のしんどさとか信じたいしんどさを乗り越えて立ち直る話、で終わらず、実は祖母が殺していたし、その娘も妹を殺している。ただ記憶を無くしているので立ち直っている、というオチ。ちゃんちゃん、ってなるかぁ。

この辺から淡々としたストーリー展開と登場人物の悲劇の乖離が混乱を招くシステムだなと、面白い書き方をする人だなと。

花うたは全編手紙で進みます。兄を殺された妹と殺した加害者。おそらく加害者は境界性知的障害をモデルにしていると思われる。素直であるが先のことを考えられない感じ。最初はひらがなで途中から漢字になり、賢くなった感が出ていて、面白いなと思っていたところが途中からまたひらがなになってそれも頭打ったかなんかでなるほど字を書くのは高次機能か、とか思っていたら最後にはその二人が結婚。境界性知的障害の男の健気な描写がユースケサンタマリアのアルジャーノンの花束に少しかぶります。あの主人公がハルでなんだか親近感が湧いていたのを思い出すのでありました。
次は人生を諦めている男に疎遠であった娘が性転換をする前に会いにくるという話。なんて日だ!

最後は虐待などの家庭環境が悪い二人の話。

といった感じで社会的弱者や妊婦や不妊みたいな残酷な現実にはっきりしない絶望がさらに上乗せされるテイストの短編集でした。

扱っているテーマは僕らが突然陥りうる環境であり、知らん間に陥っている人たちがある環境であり、一歩間違えたらと思わすそのシステムはホラーかも。

一穂だけに、、、、

いっぽね