土曜日のおっさん

誰がやねん

一気読みしてしまった小説。

内容は独身の中年が息子持ちの女性と結婚するところから始まる。

その結婚する中年が語り手で、なんとかいい父親になろうと気を使いながら息子と接していく。いつか親父と言ってくれるのだろうか。とか言いながら。

それまで全く結婚など考えていなかった中年は結婚を機に誰かと一緒に生活していくこと、自分以外を大事にするという行為があることに実感を持って気づいていく。

しかし息子はなかなか本音を見せてくれない、中学生なので当たり前だがそれにしても不気味なくらいいい息子であり、それは全て演技ではないかと思うほどであった。しかし虐められていた過去を持つ息子に腫れ物を扱うようになってしまうのをなんとかうまく誤魔化す中年。いや、誤魔化せているか悩む中年。

マイホームを買い、3人で住み始めようとするがその街では数年前に中学生が毒物による同級生無差別殺人事件が起きたことで有名だった。しかもその中学生がそろそろ出所するというらしい。

引越し後、その殺人中学生が息子に影響を与えている気がする。というよりその完璧に近い息子の挙動がやはり演技ではないかという思いが徐々に強くなる。そしてその裏に殺人中学生があるのではないかと考え、そして確信となる。

そして殺人中学生は(今は20歳くらいだが)出所しており、ラストシーンで中年の前に現れる。

人生に意味はない、実は簡単に終わらすことができる。それを証明したい。

そんな甘ったるい終末観の殺人中学生とそれに影響された息子に中年がそんなことはないと必死にかっこ悪く否定する、最後は息子も中年の想いをわかってくれる。

ラストシーンでは毒薬が少ない確率で入っているラムネを食べまくるシーンがあったり割にエキサイティングなストーリーで一気に読んでしまった。

いや、ストーリーとしてはあるあるかもかな。この世は実は自分が認識しているだけで簡単に終わらせることができる。そんな哲学的な考えに踊ってしまう若者が無茶するけどおっさんがそんな簡単じゃないよ!と否定するストーリー。

多分僕が一気に読んでしまったのはこの中年が結婚することで気がつき出した、誰かと一緒に生きていくことの難しさと、さらに子供が加わった時の立ち位置のわからなさに悶えていたところが描写されていて、その悶え方が妙にリアルで、妙に自分と重なったからだと思う。

子供はわからないから実は怖いかもしれない、というテーマがこの本に多分ある。

でもそれは子供だけなのか?

人は人を理解することはできない、それは自分も含めてだって加治さんが言ってた。

分かってるけど、他人に分かってもらいたかったり他人を分かりたかったりする。

最近時間ができたので進路など未来のことをよく考える。ついでに自分以外の人のことについて考えるようになった。

奥さん、子供、後輩、同期、たまに先輩、ボス。

みんな違う、でもみんな幸せになってほしいと心から思う。けどやっぱり自分が幸せになりたい。だって他人の幸せを真に理解することはできないはずやし、それやったらちょっとでも分かりやすい自分の幸せから考える。それが始まりな気がしている。他人を想えば想うほど自分を大事にしなければいけないなと思う。まずはそこからなんかなと。

話はそれたけど、明日直明けにまずビールを飲む。話はそこからだと思う。